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現状
日本住宅公団みんなで街造りが行われました。もとから住んでいた人たちは、自分たちの土地の約三割を供出することで道路や公園が作られ、残った土地の四割弱は日本住宅公団に売却し、無秩序な開発からこの地区を守り計画的な街づくりを行う事ができました。しかし、先祖代々の土地を手放すことに抵抗を感じたりする人が居たり、一定の広さの土地を持っていない人はニュータウン区域外への転居を余儀なくされてしましました。
1980年代に入ると開発が一気に加速します。
1980年:先行開発区域に中学校が新設
1983年:港北ニュータウン初の大規模集合住宅の入居が開始
1986年:港北ニュータウン計画が一部改定され、企業の本社や研究所を
積極的に誘致していく方針が決定
1993年:港北ニュータウン内に横浜市営地下鉄が開通し、陸の孤島から脱出し。
それまでは横浜へ行くより東京へ行く方が近かったので
「横浜都民」と呼ばれている時期もありましたが、これで横浜への
アクセスが格段に良くなりました。
1994年:都筑区が誕生。都筑という名前は、律令制度が敷かれていた
七世紀頃からこの地についていた名前であり、意外とこの地区の
歴史が長いこと再認識させられる名前です。
この後、武蔵工業大学環境情報学部が1996年に開校し、1998年センター北に「ショッピングタウンあいたい」・センター南に「港北東急」がオープンし街並みが一気に都会へ変貌していきました。
ちなみに、港北ニュータウンのシンボル・阪急百貨店の観覧車が完成したのは2000年です。
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